筆跡鑑定 メールマガジン 第2号








★☆★「知らないと損する筆跡鑑定の話」第 2 号 ★☆★



◆「勘と経験に頼る伝統的筆跡鑑定」は信頼できないのか




     筆跡鑑定は裁判で使われることが多く、そのため裁判所が鑑定書をどのように考えて
    いるのかが大切です。これについては、昭和30年代に起こったハガキによる脅迫事件
    に対して、筆跡鑑定は認められるとした最高裁の見解があり、以後、これが一つの基準
    になっています。


    これは、ある脅迫事件に関して、有罪となった被告の弁護士が「4人の鑑定人による
    伝統的筆跡鑑定方法は、勘と経験を頼りにした客観性・科学性のないもので証拠として
    価値がない」と主張して上告したものです。それに対する最高裁の判断はつぎのとおり
    でした。


    「いわゆる伝統的筆跡鑑定方法は、多分に鑑定人の経験と勘に頼るところがあり、こ
    との性質上、その証明力には自ら限界があるとしても、そのことから直ちに、この鑑定
    方法が非科学的で、不合理であるということはできないのであって、筆跡鑑定における
    これまでの経験の集積と、その経験によって裏付けられた判断は、鑑定人の単なる主観
    にすぎないもの、といえないことはもちろんである。したがって、事実審裁判所の自由
    心証によって、これを罪証に供すると否とは、その専権に属することがらであるといわ
    なければならない(後略)」
    最高裁昭和41年2月21日第二小法廷決定
    昭和40年(あ)第238号脅迫被告事件


    この最高裁の見解について、検事の藤原藤一氏のつぎのような解説が法曹専門誌『ジ
    ュリスト』に掲載されました。


    「伝統的筆跡鑑定法は客観性・科学性がないという主張は、主に統計的な視点が欠け
    ているからというものである。伝統的筆跡鑑定方法は、勘と経験を頼りにしている
    と言われるが、それは、科学的分析によって十分に理論化されていないため数値などの
    客観的表現を用いて論証できないにとどまり、筆跡個性の特定、比較、判定基準の
    各プロセスは実質的には相当に合理性を備えていると考えられる」


    この藤原藤一氏の解説は、鑑定人の私としてもよくポイントを捉えていると思いま
    す。確かに筆跡鑑定は、「勘と経験」が土台の一つであることは否めません。また数
    値化したデータとしてはなかなか証明することができません。


    ◆「伝統的筆跡鑑定」を超えるものがあるのか。


     「伝統的筆跡鑑定」との用語があるので、対比するものとして「今日的筆跡鑑定」
    なるものはあるのでしょうか。案に相違して、対比できる方式が存在するわけではあ
    りません。伝統的鑑定と今日的鑑定とは、発展形態の差であって決して対峙している
    わけではありません。


    「伝統的筆跡鑑定」と称した場合は、「やや狭義に筆跡特徴を比較すること」、「指摘
    される筆跡特徴は鑑定人の主観に任されていることが多いこと」、「肝心の判断は勘と
    経験が中心であり、数値的に説明されることはほとんどないこと」などの鑑定態度を
    言っているのです。


    「今日的筆跡鑑定」があるとすれば、つぎの諸点がポイントといえます。


    @個々の文字だけではなく資料全体の性格や特徴を調査していること。


    A取り上げた文字は、取り上げた理由について論理的整合性を持つこと。


    B指摘する筆跡特徴は妥当であることが論証されていること。


    Cその筆跡特徴が稀少なのかありふれたものなのかの判断の妥当性が論証されて
    いること


    D以上の全過程を総合的・科学的に考察して結論されていること


    ◆日本を代表するような鑑定人も行う次元の低いズル


     元科警研の所長で、鑑定の参考書も書いている著名なY氏とある事案で対決したこ
    とがあります。この方は、よく「伝統的筆跡鑑定」を批判し「今日的筆跡鑑定」に脱
    皮する必要性を説いておられますが、ご自身の鑑定書では、例えば、「指摘する筆跡特
    徴は妥当であること」という点で、極めて恣意的で非科学的なことがありました。


    それは、女子中学生による嫌がらせの手紙事件でしたが、その嫌がらせの手紙から、
    「今」という文字を1字取り出して、それを8文字もあるその中学生の書いた普段
    の文字(対照資料)と比較して、別人の筆跡としていたことです。


    その中学生の筆跡は、普段の文字でも非常に乱れが大きいのです。したがって、そ
    の中から、乱れた1字を取り出し、その文字から「特徴らしきもの」を指摘しても、
    それが書き手の安定した筆跡特徴とは到底言えません。


    筆跡鑑定は、第一に書き手の安定した恒常性のある筆跡特徴を探し出すことです。
    それが明確にならないと鑑定は始まりません。第二に、その特徴が、鑑定文字にも存
    在しているのか否かを調べることです。当然ながら、安定し恒常性のある筆跡特徴は、
    1文字からでは確定することはできません。


    この場合、8文字もある対照文字から、個々の乱れを超えて見られる「共通する特
    徴」……つまり安定し、恒常性のある筆跡特徴を探し出し、それが鑑定資料(嫌がらせ
    の手紙にある文字)に、存在するのか否かと調べるのでなければ、何の意味もないわけ
    です。これは当然のロジックです。


    以上を図解で説明します。図のように、Y氏は嫌がらせの手紙の1字から、2点の
    の特徴を指摘しました。しかし、その2点は、恒常性のある筆跡個性でしょうか。…
    …たまたまの乱れでしかありません。私の指摘した特徴は、8文字すべてに共通して
    いますし、鑑定資料にも共通して存在します。当然同一人の筆跡です。
    (図1)←クリックして筆跡の画像をご覧ください。


    私の経験では、Y氏のように、資料の中から論理性をもって筆跡特徴を取り上げる
    という、初歩的で当たり前のことが守られていないケースが多いのです。つまり、鑑
    定技法以前に、鑑定人が科学者としてのルールを無視しているということです。


    ◆科学性を軽視する鑑定人


     このように、現実には「勘と経験に頼る伝統的鑑定レベル」からなかなか脱却でき
    ていませんが、それは鑑定技法をうんぬんする以前に、鑑定人が科学的に行動しよう
    とする姿勢がないことに問題があります。つまり、残念ながら、恣意に任せて行動し
    ているという次元の低い話なのです。


    そこで、このような恣意性を脱却してもっと科学的にできないのかということにな
    るわけです。先の昭和41年の最高裁の判決に際しても「今後は、より科学的な鑑定
    技術の開発が望まれる」という趣旨の表現もありました。


    つまり指紋やDNA鑑定のように、科学的にスッキリと割り切れないかとのニーズ
    があるわけです。しかし、今後、順次述べていきますが、筆跡鑑定の特殊性を知れば
    知るほど、コンピュータ鑑定などの実用化はとても困難なことが分かります。


    コンピュータや光学機器の利用などは、あくまで筆跡鑑定を行う補助的道具であり、
    コンピュータを使ったから直ちに近代的・科学的鑑定であるなどとは言えません。日
    本より相当に先行している米国の専門家も、コンピュータによる筆跡鑑定は今後50
    年かけても実用化は難しいだろうといっています。


    ここまで述べたことでお分かりのように、「今日的筆跡鑑定」というものの実現は、
    鑑定人の良識によってカバーできる部分とカバーできない部分に分かれます。先の@
    個々の文字だけではなく資料全体の特徴を調査することや、A取り上げる文字は論理
    的な整合性を持つこと、などは、鑑定人の良識によって十分にカバーできるものです。


    私は、@資料全体を調査することは原則的に行います。ただし、このような調査に
    は、その資料の持つ「印象」が大きなカギになります。印象の全ては具体的に論証で
    きるものとは限りません。感覚的な部分も少なくありませんから、それを恣意的と受
    け止められては鑑定は成立しません。


    例えば、二つの文書を比較したとき、A資料は、「筆勢があり全体として力強い筆跡」
    であり、B資料は「筆勢がなく全体として弱々しい筆跡」であるなら、それは具体的
    に説明できます。しかし、筆跡鑑定はそのような簡単なことばかりではありません。
    「非常によく似た筆跡ではあるけれども、何とも言えない微妙な違いがある」という
    こともあります。


    ◆感覚を無視して精密な鑑定は不可能


     ここまでくると、これは感覚的な問題です。ある名画と非常に巧妙に書かれた贋作
    の違いのようなもので、この違いを第三者にわかりやすく説明することは非常に困難
    です。このような微妙な違いは論証しにくいので無視するとしてしまえば話は簡単で
    すが、それでは鑑定人としての社会的責任を果たしたことにはなりません。このあた
    りに鑑定人としての難しさがあります。


    ここに「筆跡鑑定は勘と経験を頼りにした」と言われざるを得ない蓋然性があるわ
    けです。「勘と経験」というのは言い方を変えれば、鑑定人のセンスともいえます。
    そのセンスには、「事実の前に謙虚であろうとする真摯で科学的な態度」、「経験から
    身に付けた知識や判断力」、「違いを見分ける鋭い感覚」などが含まれます。


    つまり、筆跡鑑定とは本質的に「感覚的」な能力に頼らざるを得ない一面があり、
    むしろ、精密な鑑定をするためには積極的に活用すべきであるという実体があるわけ
    です。しかし、このことは、論証あるいは数値的に表現できないものは合理的ではな
    いとしがちな司法に馴染みにくい側面があるとことは否めません。


    このような司法の要求に応えようと、警察は、「勘と経験を頼りにした」鑑定から
    脱却し、科学的であろうとして、一見科学的な表現の隘路に入り込み、結果、極めて
    幼稚な鑑定しかできなくなってしまったように思います。


    私としては、このような次元を超えて、複雑な事象をどうすれば、科学的に証明し
    説明できるのか、また、感覚的な事柄をどのように説明すれば科学的な論証となるの
    か、そのあたりに今後の研究課題があると思っています。


    この続きは、次回さらに掘り下げてご説明したいと思います。


 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会   株式会社・日本筆跡心理学協会 
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)
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