★☆★「知らないと損する筆跡鑑定の話」第3号 ★☆★ ◆警察系鑑定の主流「類似分析」の欠陥 |
前号では、「勘と経験を頼りにした」と言われる「伝統的筆跡鑑定」について述べ、 「今日的筆跡鑑定」があるにしても、それは伝統的筆跡鑑定と対峙したものとしてある わけではなく、伝統的筆跡鑑定を生かしつつ、進化の形としてあるのだと説明しました。 また、筆跡鑑定は「感性」を無視しては成り立ちにくく、その意味で「勘と経験」 というものは、筆跡鑑定がどれほど進化しても無くなることはないだろうと述べました。 このことから、論証できないものは合理的ではないと見がちな司法にやや馴染みにくい 側面があります。 警察系の鑑定は、「勘と経験」と言われることを避けようとして、何とかすっきりと割り 切れるような鑑定を志向したようです。そこから「類似分析」のような、類似点と相違点を 数えて判断するという、一見合理的に見える方式を取り入れました。 警察系鑑定で主流の「類似分析」とは図のようにものです。例えば「十」の文字で、 A鑑定人は横画は類似するが縦画は相違なので「引分け」と判断しました。 一応公平です。しかし、B鑑定人は、横画の類似は認めましたが、縦画は無視して 「類似」とし、C鑑定人はその反対としました。 このような判断の仕方は警察系鑑定では日常茶飯事です。 画像をご覧ください。 http://www.kanteininkyokai.jp/magazine/20120502.html つまり、類似分析は「作為筆跡に役立たない」という本質的な限界がありますが、同時に 運用面でも、このようないい加減な判断が普通です。科学を装った類似分析の実態は、 ある特徴を指摘するにしても、その選択は鑑定人の「勘と経験」に任されていて、 その選択が科学的ではありませんから、所詮「勘と経験」に変わりはないわけです。 むしろ、科学的態度を装うだけ罪が重いというべきでしょう。 ◆全体観察は総合的な「森を見る」鑑定 それでは私はどう判断するのかといえば、私は、鑑定資料の縦画の後半は確かに異なる けれども、このような変化は個人内変動としてよくあることなので、それよりは、縦画の起筆 部の「ヒネリ」を重視して「同筆の可能性がある」と判断します。このような個人内変動がある との判断は、日頃から、書き手の判明している文字を10個程も並べて鑑定しているので 理解しているからです。 鑑定人の立場から司法に係わる方にお願いしたいことは、このような筆跡鑑定の特殊性 をご理解いただき、「感性」に立った論証だから無意味であると切り捨てるのではなく、 さらに一歩踏み込んで理解しようとの努力をお願いしたいのです。 その努力を少し払って頂ければ、筆跡鑑定は非常に面白いものです。何より暗闇の中 から真実が徐々に見えてくる面白さがありますし、それを鑑定人がどのようにして 証明していくのかの方法とプロセスも興味を引くものと思います。私としては、 そのような、精読に値する掘り下げた鑑定書を提供したいと考えています。 また、「今日的筆跡鑑定」の要諦の一つの「資料全体を観察」することは、特に新しい 鑑定方法というほどのものではなく、鑑定人がその気になればすぐにできることだと 言いました。筆跡鑑定の要点は「一字ずつの分析」になりますが、しかし、それ以前に 重要なことは「資料全体を観察」することです。 「一字ずつの分析」が、木を一本一本精査するものとしたら、「資料全体の観察」は、 まさに森全体を観察することに他なりません。全体観察には、木を一本ずつ精査する のとは異なる多くの情報があり、「一字ずつの分析」では得られない貴重な情報が得ら れるものです。 したがって、この資料全体を観察しない鑑定は、まさに「木を見て森を見ない」鑑定で あり、大きな欠陥のある鑑定と言わざるを得ません。このような欠陥のある鑑定の 代表的なものが「狭山事件」です。この事件についての詳細は、私の「鑑定人ブログ」 にありますので興味がございましたらご覧ください。 狭山事件のブログ http://www.kcon-nemoto.com/journal/ ◆鑑定書に取り上げる文字に論理がない つぎに、「今日的筆跡鑑定」の実現にとって重要なもう一つの要件、「鑑定書に取り上げる 文字は論理的整合性を持つこと」について説明いたします。実は、民事の筆跡鑑定に おける実際の問題としては、これが最も多い問題です。 例えば、最近の大きな筆跡鑑定事件に「一澤帆布遺言書事件」がありますが、この事件も 「鑑定書に取り上げる文字の問題」がテーマの一つでした。この事件は、創業者の会長が 残した遺言書を巡って長男と三男が争った事件です。 遺言書が2通あり、古い遺言書は「家督を三男に譲る」となっていましたが、長男が新しい 遺言書を提示し、それには「長男に譲る」となっており、係争になりました。最初の裁判 では、長男が勝訴し最高裁まで進んで確定しました。 その後、三男の妻が改めて提訴し、今度は三男が逆転勝訴し、これも最高裁まで進んで 確定しました。この時の鑑定人は、長男側は、科捜研OBを含む3人の警察系鑑定人、 三男側は、当時神戸大学の魚住教授や医師など門外漢が3人であり、いわばプロを自認 する警察がアマチュアに敗れたと評判になったものでした。 しかし、私の実感としては、このようなことは全然珍しくなく、警察系の鑑定人のレベルが 高いなどと感じたことは一度もありません。全述した警察系鑑定人の頂点に立つY鑑定人との 対決でも感じたことですが、取り上げた文字に論理的な整合性が全くなく、極めて恣意的で ありました。 ◆一澤帆布遺言書事件も取り上げた文字にウソがあった このようないい加減さは、警察系鑑定人の多くの鑑定書で痛感しています。科学的 態度が全くなく、「科学捜査研究所」などと名乗りながら、「どこに科学があるの?」と言いたく なるのが実態です。このあたりについて興味のある方はつぎのメルマガをお読みください。 http://www.kcon-nemoto.com/journal/kantei_journal_30.html また、このあたりの事情を詳細に報道した「東京新聞」のコピーがありますから、ご希望の 方は、このメルマガに「新聞コピー希望」と書いて返信してください。この新聞は、不合理な 警察系の鑑定書に対抗するときに有効です。今までに数人の弁護士さんが、私の鑑定書に 添付して裁判所に提出しています。 一澤帆布遺言書事件で警察系鑑定が退けられた原因の一つは、「鑑定書に取り上げた文字 に整合性がないこと」です。それは「下」という文字でしたが、警察系鑑定人は「第3画が2画から 離れているので同一筆跡」と主張しました。魚住教授らは、「離れているのもあるが接している ものもあり警察の主張は根拠がない」と反論しました。 事実、総数で10以上もある「下」の文字は、離れているのと接しているのとが約半々でした。 魚住教授は「警察の行う筆跡鑑定は、証拠固めのために用いています。高裁判決でも、 科捜研OBの鑑定は、類似文字を目的のために集めたにすぎないと、はっきり断定しています。 そういう意味で我田引水のような筆跡鑑定は通じなかったということでしょう」と語っています。 この記事をお読みになりたい方は http://www.kcon-nemoto.com/10_magazine/jw.html 私も、警察系鑑定人のこのような鑑定にぶつかるのは日常茶飯事で、ともかく、警察系鑑定 の不正で一番多いのが、「主張に合致する文字のみを取り上げる」ことだと感じています。 無理に主張に合致しない文字を取り上げて、解釈を曲げるよりも簡単で、表面的に読んで いる人を目くらますために容易だということでしょう。 私も一時は、どうしてこのような荒唐無稽な鑑定をするのだろうと悩んでいた時期もあり ましたが、今は警察の筆跡鑑定とは「真実を知るためのもの」ではなく、犯人と目星をつけて 逮捕した容疑者の「自白を誘導したり」、「容疑を固めるためのもの」であり、そのような体質が 骨の髄まで浸み込んでいるのだと解釈しています。 問題なのは、警察系鑑定人は、退職後も緩やかな連帯を組んでいることが多い様子で、 彼らは先輩や仲間の鑑定人が「黒」といったものは、たとえ自分は「白」と判断しても黒 としかいわないと聞いています。これでは、「冤罪」のタネは尽きまじということでしょう。 眼光紙背に徹する裁判官の健闘を期待したいところです。 「裁判官の健闘を期待」と書きましたが、今の私が悩んでいるのは、裁判官には、警察 OBの鑑定人のような、社会正義にもとるおかしな連帯はないと信じてよいのだろうかと いうことです |
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会 株式会社・日本筆跡心理学協会 代表 筆跡鑑定人 根本 寛(ねもと ひろし) 関連サイト http://www.kcon-nemoto.com 事務所 〒227-0043 神奈川県横浜市青葉区藤が丘2−2−1−702 メール kindai@kcon-nemoto.com TEL:045-972-1480 FAX:045-972-1480 MOBILE:090-1406-4899 |