★☆★「知らないと損する筆跡鑑定の話」第4号 ★☆★ ◆ 裁判所の鑑定人リストから鑑定人を選んでも安心できない |
弁護士先生が陥りがちな危険な状況があります。それは、裁判長指導で裁判所リストにあ る鑑定人に鑑定を依頼し、それが間違っていた場合です。あまりの非科学的な鑑定に驚き、 再鑑定に持ち込んだとします。「これで、何とかなるだろう、あんなでたらめな鑑定は二 度とないだろう」と安堵したとしたらほとんど裏切られます。 鑑定人リストに載っているのは、ほぼ間違いなく、元警察官の鑑定人です。かれらは、退 職後も緩やかな連帯を保っている様子で、仲間が「黒」と鑑定したものを、「白」とわか ってもそうは書かないようです。したがって、同じく裁判官主導で鑑定をすれば期待は裏 切られることが多いのです。 どうすれば良いのでしょう。民間の鑑定人の私からは言いにくいことですが、それは、私 ども民間人の鑑定人を使うことで、いくらかでもリスク回避の可能性は生まれます。ただ し、正しい鑑定書を提出しても、今度は裁判官が認めるかどうかというリスクは残ります が。 裁判官主導の鑑定だから……裁判所リストに載っている鑑定人だからそんな不公平は無い だろうと、あまり安心しない方が良いと思います。私の案は我田引水に聞こえるかも知れ ませんが、私製の鑑定書であれ、しっかりした鑑定書を先に出して、裁判官の心証に先に 働きかけることぐらいしかないように思います。 最近も困った鑑定書にぶつかり[意見書]を書いたところです。それは、警察系鑑定書で 主流の「類似分析」についてです。これは、比較する二つの文字から「類似箇所」と「相 違箇所」の数を数えて、多いほうに軍配を上げるという方式です。 前回も少し書きましたが、「類似分析」の欠陥は、鑑定に多い「作為筆跡」にはほとん ど役に立たないということです。作為筆跡には2種類あります。本人に成りすまそうと似 せて書く「偽造」と、自分の筆跡を隠蔽しようとする「韜晦(とうかい)」です。「類似分 析」は、この両方にほとんど役に立たないのです。 他人に成りすます方法では、本人の筆跡をお手本に模倣をするわけですから、似たところ が多くなるのは当然です。鑑定が必要になるようにケースでは、偽造者は、手本を見なが ら注意深く模倣をします。当然、類似点が多くなり、類似分析による鑑定結果は「同筆 (同一人の筆跡)」ということになります。 ◆作為のある筆跡には無力な類似分析 今回のケースは、生命保険金がテーマの同様の事件です。妻が受け取ることになっていた 夫の保険金を、実の父親が受取人の変更届を出して、死亡保険金を詐取してしまった事件 です。警察系の鑑定人は、表面的な鑑定をして同筆としていました。私は、それに対し正 しい鑑定書と意見書を書いたということです。 これは、有名な一澤帆布遺言書事件の経過と同じです。二つの遺言書が同一人の筆跡だと いう警察系鑑定人の主張に対して、判決はつぎのようにはっきりと否定しました。「文書 が偽造されたものである場合、似せて作成するため、共通点や類似箇所が多く存在したか らといって直ちに真筆だと認めることはできない」。 このことは、前に説明した2008年11月29日の東京新聞に明記されています。この 新聞をご入用な方は、このメールへの返信で「東京新聞希望」と住所氏名を書いてご一報 ください。同じようなケースの事件の際には、反論書に添付して提出すると良いと思いま す。 一方、嫌がらせの文書などは、書き手を悟られないように自分の筆跡を変えて書きます。 いわゆる「韜晦(とうかい)文字」です。鑑定では書き手と疑われる人の筆跡と比較をしま す。嫌がらせの文書は筆跡を変えていますから、当然、相違箇所が多くなり鑑定結果は 「異筆(別人の筆跡)」となってしまうわけです。 このように、「類似分析」は、韜晦筆跡にもほとんど役に立ちません。私は、ある刑事 事件で担当の検事と対決したことがあります。怪文書に係わる事件で、その筆跡は、一見 して作為筆跡であることは明確なものでした。 私は、同筆と判定し、現職の科捜研の判定は異筆と反対の結果でした。私は科捜研の実情 を聞くにはいい機会だと思い、鑑定の方法について検事に質問しました。回答は「類似分 析」だということでした。 そこで、私は「それはナンセンスだ。嫌がらせの文書が作為文字なのはあなた方も分か っているではありませんか。この場合の筆跡鑑定は、単純に類似箇所と相違箇所を数えて も真実には迫れません。そうではなく、相違箇所に集中し、それが同一人の個人内変動に よるものか、それとも別人なるがゆえの相違なのかを精査しなければ真実は解明できませ んよ」と言いましたが、検事は分からない様子で憮然としていました。 ◆「類似する」ではなく「この人間にしか書けない」と証明することが重要 このように、警察系の鑑定では、鑑定に必要なロジックに言及したものを見たことがあ りません。単純に字形の異同を指摘しているだけのものがほとんどです。「自分は、文字 の異同を正確に指摘するだけで、筆者判断は上の者がする」とでも考えているのでしょう か。しかし、それでは鑑定をしたことにはなりません。 私は、科捜研の判定のように、単純に「類似・相違」とジャッジするだけではなく、そ のジャッジの妥当性・客観性を説明します。それは、指摘した筆跡特徴が、その書き手の 「安定した筆跡個性」であるかそうでないかを証明するということです。 具体的には、一つの筆跡個性を発見したら、それを1文字で証明するのでしなく、必ず 複数文字にその筆跡個性が表れていることを証明するということです。1文字では、その 特徴が本当に書き手の筆跡個性なのか、偶然の結果なのかは断定できません。 しかし、2、3文字に同じパターンが表れていれば、それは安定した筆跡個性と断定でき るわけです。警察系鑑定人に、このような裏付けに言及した鑑定を見たことがありません。 これは、鑑定人としての立場の違いから生まれるのかも知れません。私は、裁判官主導で 鑑定人リストに載っている警察系鑑定人が鑑定をし、それが誤っている場合に覆してくれ と鑑定を依頼されることが少なくありません。 この場合、私の鑑定書が警察系鑑定人と同レベルのものであったら裁判官の心証はどう でしょうか。一般的には、自分が主導した鑑定人を信用したいと思うのが人間ではないで しょうか。つまり、警察系鑑定人と同レベルの鑑定では勝てない可能性が高いということ です。 ◆困難な立場が技量を磨いてくれる そこで、私としては、誰が読んでも疑問の余地のない、警察系鑑定人よりも数段高いレ ベルの鑑定書を書かざるを得ない訳です。このような立場にあることが、私の仕事のレベ ルアップにつながっています。このように考えると警察系の鑑定人の存在は私にとって有 り難いことだというべきかも知れません。 さらに、「類似分析」は、作為の無い自然筆跡でも問題のあることがあります。それは自 筆遺言書や養子縁組届などのケースです。これらは相当に高齢になって書くことが多いの です。書字行動が覚束なくなって、震えが出たり、乱れたりと元気なころの筆跡とはかな り変わってくることが少なくありません。 例えば「横画を右上がりに力強く書いていた」筆跡が、「右下がりに乱れたり、勢いの ない」筆跡になったりします。このような場合も,類似分析で、字形を表面的に見れば 「異筆」となってしまいます。このような誤りも実際に少なくありません。 このような誤りを防ぐには。表面的・機械的に異同を判断するのではなく、既に述べた ように「全体印象の把握」や単純に字形を見るのではなく、その特徴を筆跡個性的な角度 から深く分析することが必要ですが、これはかなり高度な能力になり、多くの人間を一律 に教えることには限界があるでしょう。 このような、優れて個人的な能力に係わるものは、警察という大きな組織で一律的に教 えるには難しいと思われます。そこで、多くの担当者が間違いなく実行できる手法として 類似分析を取り入れているのでしょうが、しかし、この方法は、多くの鑑定事件に無効な ものと言わざるを得ません。 このような技術水準が、裁判官や司法関係者をして「筆跡鑑定は勘や経験に頼るもので 自ずからその証明力には限界がある」と認識されているとすれば、その認識は誤りであり、 もっと、シャープな鑑定があることを知っていただきたいと思います。この詳しい掘り下 げは次回説明します。 「類似分析」について更に詳しく知りたい方は,つぎをお読みください。 http://www.kcon-nemoto.com/journal/kantei_journal_71.html |
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会 株式会社・日本筆跡心理学協会 代表 筆跡鑑定人 根本 寛(ねもと ひろし) 関連サイト http://www.kcon-nemoto.com 事務所 〒227-0043 神奈川県横浜市青葉区藤が丘2−2−1−702 メール kindai@kcon-nemoto.com TEL:045-972-1480 FAX:045-972-1480 MOBILE:090-1406-4899 |