知らないと損をする筆跡鑑定の話 第24話





【左手で書いた遺言書を右手の筆跡で証明】




  ■ 脳梗塞のため右手が使えず左手で遺言書を書いた


   3年ほど前の横浜地裁の事案です。60代の男性でしたが、遺言書を書いて間もなく
  亡くなってしまいました。その遺言書ですが、脳梗塞により右半身が不随となりやむな
  く左手で書いたものでした。


   本人の筆跡ではないと主張する親族がいて、裁判になり相手は異筆であるという鑑定
  書を出してきました。対抗上、こちらも鑑定書が必要になりご相談を受けました。

   しかし、遺言書を書いた後すぐに亡くなってしまったため、左手で書いた対照筆跡が
  ほとんどありません。幸い、健常時に右手で書いた下書きがありましたので、それと対
  照して本人の筆跡であることを証明することになりました。


   私も、左手で書いた怪文書を解明した実績は何件かありましたが、遺言書は初めてで
  す。しかし幸いなことに遺言書の下書きには、「遺言書」とか「財産」「○○銀行」や
  奥さんの名前など同じ文字がたくさんあり照合する文字には困りません。


  ■ どうして左手の筆跡を右手の筆跡と同一人のものと言えるのか。


   ところで、左手で書いた筆跡と右手で書いた筆跡の同筆性、あるいは異筆性はどうし
  て分かるのかということです。


   これは、前回書いた、文字がどのようにして記憶されていて、どういう流れで書かれ
  ているのかをお考え頂ければ難しいことではありません。


   一般に、文字は手で書いていますので、手が主役のように思ってしまいますが、考え
  るまでもなく手が勝手に動いて書記活動をしているわけではありません。
  文字を書こうとするときは、第一に書くべき文字を想起します。これは、意識できてい
  る脳の働きです。


   すると、「脳の言語野」に記憶されている文字データが呼び出され、それが、運動神
  経と連動して手を動かして書き表すということになります。このステップは、意識でき
  ない脳の働きです。


   このように、脳の言語野に蓄えられているデータは意識できませんから、私たちは、
  文字を書くとき「何を書くのか」は意識していますが「どう書くのか」は、潜在意識に
  任せていることになるわけです。


  ■ 字形は脳の言語野に蓄えられている。


   これが、筆跡鑑定を成り立たせている基本原理です。このような特質から、何回書い
  てもほぼ同じ書体になる(筆跡の恒常性)、偽造などは容易でない(意識できない脳は管
  理できない)という、筆跡鑑定のベースになるわけです。


   右利きの人が右手で書く場合は、熟練した手で書くので字形は整いますが、左手で書
  くと、手が熟練していないので大きく乱れるという点が違うことだけなのです。脳に蓄
  えられた文字データは同一ですから、右手で書いても左手で書いても、一定の特徴(規則
  性)が表れます。


   一方、左手で書いた文字の乱れは単なる非熟練の結果ですから、そこには何らの規則
  性もないということになります。したがって、鑑定に当たっては、不一致の箇所は無視
  してかまわないことになります。


   類似する箇所を発見して、それは、別人でも偶然類似するようなものか、本人でなけ
  れば書き得ないような一定の規則性が見出されるものかという点を精査すればよいとい
  うことになるわけです。


  ■ この原理はドイツの医学者が100年以上前に発見した。


   鑑定書の最初に、まずこのような説明を行い、つぎに、この原理は、ドイツの医学者
  によって100年以上前に発見されていることを書名を挙げて説明しました。


   また、群馬県の詩画作家・星野富弘さんの実例を引用しました。星野さんは、体育の
  先生をしていたとき、鉄棒から真っ逆さまに落ちて頭を打ち、頭部を除いて全身麻痺に
  なってしまいました。


   その後、口に筆を咥えて絵や文字を書くようになったのですが、それを学生時代の友
  人が見て、手で書いていた筆跡とそっくりだと言うのだそうです。


   このことは、以前、NHKの『ためしてがってん』に協力した折に、アドバイスした
  のでよく覚えています。


   ところで、このような鑑定は、「韜晦筆跡(とうかいひっせき)」の鑑定によく似た面
  があります。韜晦筆跡とは、怪文書や脅迫状などの場合に自分の筆跡を隠すために作為
  を施した筆跡です。


   当然、一見すれば本人の筆跡とは似ていません。そこで、韜晦筆跡の鑑定は、まずは、
  似ていない筆跡の中から似ている筆跡特徴を探し出すことになります。


   そして、発見した類似点が別人の偶然の類似なのか、それとも同一人しか持ちえない
  規則性のあるものか否かを調べることになります。


  ■ 「あった!」……この特徴は作為で書くことは困難だろう


   奥さんの名前の一字に「美」の文字がありました。そして、一見しては分かりにくい
  のですが、最初の二画で作られる「V」形の角度が狭いという特徴がありました。


   私は、説得力を高めるために書道手本を参考にしていますが、書道手本ではこの角度
  は90度前後です。しかしその鑑定筆跡と対照筆跡は、両方とも40度程度と非常に狭
  く書かれています。


   このような部分を意識して書いている人はまず考えられません、ということは……脳
  の言語野に同じパターンが蓄えられていたことになります。これは、同一人の筆跡の可
  能性を強く示唆しています。


   しかし、当然ですが、一文字では断定できません。そこで、このような共通する特徴
  が他にもないかと探してみたら、「光」の文字がありました。この文字も、二画の角度
  が標準よりもかなり狭いという特徴を示しています。


   この後、さらに3文字ほど、作為で書くとは思われない特徴を発見して、同一人の筆
  跡であると結論することができました。


  ■ 稀少性の低い特徴は、数を積み挙げて確率を高める。


   筆跡鑑定では、このように稀少性の低い特徴の場合、「別人には書くことが困難な類
  似筆跡」を次々と積み上げていって確度を高めます。


   例えば、ある筆跡特徴を書く人が、5人に1人程度だとしたら確率は0.2になりま
  す。つまり10人に2人が同じように書くということです。


   しかし、同じ確率のものを4つ積み重ねれば、該当する確率は1000人中1.6人
  ということになります。つまり、0.2×0.2×0.2×0.2=0.0016…… と
  なるからです。


   このような検証の仕方は、前述したように、怪文書など自分の筆跡を隠そうとする韜
  晦文字でも同じ調べ方になります。


   筆跡鑑定というと、単に二つの文字を比較するだけと思われますが、このようなロジ
  ックが必要になるケースもあるのです。


   結局、この事案は、裁判長は判決は避けましたが、ほぼ勝利判決と変わらない和解に
  なって、弁護士の先生ともどもハッピーエンドを喜ぶことが出来ました。


   「最初は相手の鑑定書で少し押しこまれていただけに、根本さんの鑑定で助かりまし
  たよ」といわれて、鑑定人冥利に尽きる思いでした。


                                   この項終わり


 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会   株式会社・日本筆跡心理学協会 
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)
東京都弁護士協同組合特約店
関連サイト http://www.kcon-nemoto.com

事務所
〒227-0043 神奈川県横浜市青葉区藤が丘2−2−1−702 
メール kindai@kcon-nemoto.com
TEL:045-972-1480
FAX:045-972-1480
MOBILE:090-1406-4899

メールマガジン目次へ戻る

トップページへ戻る

Copyright (c) 2012 一般社団法人日本筆跡鑑定人協会 All rights reserved.