知らないと損をする筆跡鑑定の話 第39話





【筆跡心理学と筆跡鑑定の融合−2】



  第2章  無意識の世界の大きな役割  

 ■わが国における筆跡心理学の夜明け

  私が知る限り、わが国における筆跡心理学の最初の著作物は、昭和39年に発刊され
 た『書の心理』(誠心書房)です。当時、新潟大学教育学部の黒田正典教授(1916年
 生まれ。現/東北福祉大学教授)が著したものです。

  黒田先生は、同著の中で「筆跡心理学」という用語を使用しています。外国の筆跡心
 理学の紹介と、ご自身も毛筆の筆圧測定など独自の研究を行い、東北大の教授連との交
 流があり協力も得ている様子です。『書の心理』のまえがきに、つぎのように書いてい
 ます。

  「わが国の筆跡心理学は、これから広大な未知の地帯に向う探検に似ている。本書で
 は計量的、実験的方法と内観的、了解的方法の両方が重視された。前者は実証的であり、
 後者は直感的であるといえる。よく誤解されるように、直感的なものは実証的なものに
 よって克服されねばならないような認識論的に価値低いものであるとは考えるべきでは
 ない。正しい認識のためにそれぞれの役割を持っていると考えるべきである」(中略)
 
  「本書では、あるものにおいては、実証的なものをして直感的なものの妥当性を検討
 させている。他のものにおいては、重要なものは直感的なものであり、実証的なものは
 直感的なものを統制する補助手段となる。また、さしあたり実証的なものが無力な対象
 については、直感的な見通しの獲得が求められている。直感的なものが見通しを与え、
 実証的なものがその見通しを確かめるといわねばならぬ」。

   ……と、筆跡心理学の研究においては、「直感・推論」的なものと、「実証」的な
 ものの双方にそれぞれの役割があり、大切であると述べられています。


 ■直感的理論と実証の役割
 
  これは、私が主催する、日本筆跡心理学協会の探求する方向に大切な示唆を与えてく
 れます。わが国では、とかく、目に見えないものや実証されないものは学問でないとす
 る偏向があり、たとえば「心理学」などもその不当な扱いに長年甘んじてきた歴史があ
 ります。
  
  しかし、たとえばノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、「理論物理学」で中間子理論
 を発見し、その後10年以上後に「実験物理学」で証明されたように、理論や仮説によ
 る発見に意味がないわけではありません。理論は実験による制約がない分、進化のス 
 ピードが速いという特徴があるからです。

  これが、医薬品のような分野ならば、理論だけで進めることは許されないでしょう。
 しかし、人間の心や性格などを、実験で証明されたものだけに限定するならば、それは
 過剰な制約となり、その歩みはあまりに遅いと言わねばなりません。その結果、人間社
 会の発展にブレーキがかけられてしまいます。黒田教授が述べたように「直感・推論」
 的なものと、「実証」的なものの双方にそれぞれの役割があり、大切であることを理解
 すべでしょう。


 ■慶応義塾大学・槇田仁名誉教授の研究

  1992年(平成4年)には、慶応義塾大学の槇田仁名誉教授が、『筆跡性格学入門』(金
 子書房)を著しています。これは、名称が少し異なっていますが、本質的には筆跡心理
 学の分野と理解してよいと思います。

  私の知る限り、槙田先生の研究は、ユングやクレッチマーなどの「類型論」的なアプ
 ローチに近いように思います。ひらがなによる研究なども行っていて、東北福祉大学の
 黒田正典先生とも交流があるご様子です。


 ■民間の研究家・森岡恒舟
 
  森岡先生(1933年生)は、私が直接教えを受けた先生です。森岡先生は、東京大 
 学・心理学科を卒業され、書道教室を主宰する一方で、昭和55年頃より独自に筆跡心
 理学の研究を開始されています。

  昭和58年には『筆相診断』(光文社)を著されました。森岡方式は、「理論」と「実
 証」の中間的な「仮説検証法」ともいうべき方法で、筆跡と性格の関係を掘り下げてい
 ます。「仮説検証法」とは私の命名です。具体的には、ある筆跡特徴がどのような性格
 の反映なのかと仮説を立て、それを数多くの人に当てはめて検証します。

  そして、一定の確率で検証できたものを「定説」として発表するという方法です。つ
 まり、最初は仮説からスタートし、多くの人に当てはめて検証するという実証的な方法
 をとっております。私は、森岡先生に協力してこの分野を探求してきました。


 ■なぜ筆跡から性格がわかるのか
 
  「なぜ筆跡から書き手の性格や深層心理などがわかるのか」ということですが、これ
 までに「筆跡とは行動の痕跡である」とお話ししたことが要点です。皆さんは、他人の
 性格をどのようにして理解しているでしょうか。

  人の性格や気質など、普通はさほど気にしていませんが、多くはその人のしぐさや行
 動を見ているうちに何となくわかってくるものです。たとえば、早口にしゃべる人をみ
 ればせっかちな人だなと受け止めます。何かの集まりがあって、定刻前に到着し責任者
 にきちんと挨拶をしている人を見れば「真面目な人らしい」と理解します。

 ところで、このような真面目な人は、次の3通りの「口」の字のどれを書くでしょうか。

  Aの書き方をすることが多いのです。ルール通りきちんと真面目に書いています。B
 は柔軟で融通性のある人の筆跡、Cの人は、かなり自由奔放な性格の人です。このパ 
 ターンは、筆跡だけではなく、行動傾向としても概ね合致しています。

  人の行動と筆跡はいずれも同じ「深層心理」によってコントロールされていますから、
 同じパターンを示すのです。ですから、筆跡とは、書き手の行動パターンをそのまま表
 しているものなのです。




 ■ 文字と書き手の関係

  筆跡と性格の関係の詳細は、私どもの教育に譲りますが、肝心なことは、「どのよう
 な仕組みで、文字に書き手の性格や行動傾向が表れるのか」ということです。

  これは、筆跡鑑定においても、最も根幹をなす重要な原理です。ただ、わが国におけ
 る筆跡鑑定は、警察系の「科学警察研究所」(科警研)や、県警に所属する「科学捜査
 研究所」(科捜研)が先行してきましたが、私の知る限り、これらの組織では筆跡心理
 学の研究は行われず、その意味では、欧州などの実態から見れば大きく後れを取ってい
 ます。私は、その欠落部分を埋めたいと考えております。

  私は、数年前に、科警研と共同研究を行うことでわが国における筆跡鑑定の水準を上
 げたいと考え、科警研に打診をしましたが、その意志はないと聞かされ取りやめた経緯
 があります。

  筆跡による性格診断は、書き手の深層心理にある本音が表れます。性格診断は、わが
 国では「質問法」が多用されています。これは、イギリスの心理学者R.B.キャッテ
 ル(Cattell, R. B. 心理学者。イギリス生まれ。)を源流とする方法でこの方式は、
 利点もありますが欠点もあります。筆跡心理学による方法は、質問法による性格診断の
 欠点を補うことのできる貴重な方法です。

  われわれは、日頃の行動は、意識で管理しているように考えています。われわれは意
 識できるものしか意識できないわけですから、これは当然のことです。その結果、私達
 は何事も意識して判断したり行動したりしているつもりでいますが、それは、「そのつ
 もりでいるだけ」であって、実際には、深層心理によって管理されていることがはるか
 に多いのです。

  また、意識は、本人も無意識のうちに状況を「合理化(rationeze)」した
 り、都合の良い方向へ「作話」をしたりして、その信用性には限界のあるものです。こ
 れは、近年の脳科学の研究によってかなりはっきりしてきました。つぎは、脳科学者・
 池谷祐二先生(東京大学・大学院薬学系研究科・准教授)の説明です。

  「コンビニ強盗の映像を見てもらったあと、事件には何の関係もない6人の写真を見
 せ、『このなかに犯人はいるか』と警官が聞くのです。すると40%くらいの人が犯人
 を指し示すのですよ。偽証ですね。もっとすごいのは、『ほかの人が犯人を特定したの
 で、それが正しいのか確認してほしい』と頼むと、何と70%もの人が嘘の記憶を呼び
 起こして無実の人を犯人だと証言してしまう」(『和解する脳』講談社)。
 このように、悪意はなくとも「作話」をしてしまうことは、人間の普通の姿です。あい
 まいなことに関しては、誰でもがじつにたくさんの作話をしているそうです。もちろん
 本人は嘘をつこうとか,嘘をついているなど意識は全くないのです。ですから、質問法
 による調査方法というのは、本質的に「ウソ」が混じってしまうのです。」

  このように、われわれの意識の曖昧性を知れば知るほど、本音が表れる無意識の重要
 性が理解されます。脳科学でいう「意識と無意識」、心理学でいう「表層心理と深層心
 理」の活動やその役割を知れば「無意識の世界」(深層心理)が、私達の生活や生きざ
 まに大きな影響力をもっているのが分かります。

  人が普通に書く文字というのは、深層心理によって管理されています。深層心理の中
 心は、感情であり、さらに突き詰めていえば好悪の感情です。つまり、人間は、無意識
 のうちに「快い」、「安全である」等により行動を選択しているということです。例え
 ば、ある人には好感を持ち近づこうとし、別の人には、近づこうとはしません。このよ
 うな選択は理屈ではなく無意識下の直感です。

 たとえば、「なぜあの人が好きなのですか」と質問されれば、「人柄がいい」とか「話
 がよくわかる人だ」などの答えが返ってくるものです。しかし、本当にそうなのでしょ
 うか。

  事実は「ただなんとなく」というのが真実です。ただ、それでは、答えにならないと
 考えて「人柄が良いから」などと合理化しているに過ぎないのです。もちろん、ビジネ
 スなどの世界で、メリットがある人に近づいていくというような行動は別ものです。そ
 れは、意識の産物です。

  つまり、深層心理(無意識)の世界の中心は好悪感情であり、それは言い方を変えれ
 ば、安全なものには近づく、危険なものからは逃げるということでもあります。われわ
 れは、何十万年も、このようにして、本能的に好ましいもの、安全なものを選択してき
 ました。これは、生きるうえでの本質的な欲求ですから極めて強いものです。

  このような本能的な欲求は、文字を書くときも同じ原理が働きます。先に、「口」の
 文字で説明しましたが、ある人は、かっちりと楷書型に書きます。別な人は、丸く柔ら
 かい行書型に書きます。これが、深層心理の好みの反映です。かっちりと楷書で書く人
 は、そのかっちりした形が心地よいのでそのように書くわけです。反対に柔らかく崩し
 て書く人は、その柔らかな形が好ましいから書くわけです。

  前者は、物事は整然と整った状況の方が、安心ができ心地よいと感じる性格といえま
 す。後者は、適度に自由度のある状況が心地よいと感じる性格で、それぞれ自分の深層
 心理にフィットした文字を書くということになる訳です。このあたりの深層心理の好悪
 感情について、先の、脳科学者・池谷祐二先生は、面白い実験の結果からつぎのように
 説明しています。

  「幼児のそばに白うさぎのぬいぐるみを置きます。脳にはバイオフィリア(生き物が
 好き)という性質があります。幼児は教えられたわけでもないのに、ぬいぐるみに好奇
 心を示し、近寄っていきます。近寄った瞬間に背後でドラを大音響で鳴らします。幼児
 は大きな音が嫌いですから、驚いて泣き出します。これを何度か繰り返すと、やがて、
 白うさぎのぬいぐるみに近寄るのをやめてしまいます。『条件付け』と呼ばれる現象で
 す。
  
  この実験で興味深いのは、「汎化(はんか)」が生じることです。たとえば、この幼児
 は、ウサギのぬいぐるみだけではなく、類似したものまで嫌いになってしまいます。実
 物の白ウサギや白いネズミはもちろん、白いもの全般が嫌いになってしまうのです。白
 衣の看護師、白髭のサンタクロースなどです。この幼児は、成長したあとも、この実験
 のせいで白いものが嫌いのままかも知れません。
  
  しかし、本人には好悪の理由は判りません。なにせ物心のつく以前の経験ですから。
 ただ、なんとなく生理的に嫌いという状態に陥るのです。汎化を通じて形づくられた私
 たちの嗜好は、意識上では無根拠なもの、あるいは誤解に基づいたものが少なくないと
 思います。いや、むしろ私は、無意識に形成された「わけがわからないけど」や「ただ
 なんとなく」と感じる生理的な好悪癖こそが、人格や性格の圧倒的な部分を占めている
 だろうと想像しています。」(『脳には妙なクセがある』芙蓉社)
 
                                (次回に続く)





 
   東京都弁護士協同組合特約店・日本筆跡心理学協会 
一般社団法人・日本筆跡鑑定人協会
代表 筆跡鑑定人  根本 寛(ねもと ひろし)

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